私がサラリーマンを辞めた理由【雇われの身で働く未来は真っ暗】

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どうも、みっちゃんです!

2014年3月に、6年間勤めた会社を辞めました。

フリーランスとして収入を得るようになって8年目に突入し、家族4人を養いながら幸せな人生を送ることができています。

私の場合、サラリーマンとして働く自分の未来の姿を想像した時に、悪い未来しか見えなかったから辞めました。

その決断をしたことに全く後悔はなく、むしろ良かったと思っています。

今回はこれについて詳しく書いていきたいと思います。

サラリーマンを辞めた理由【3つ】

結論から書きますと、、、

  • 理由①:背負わされる責任の大きさに耐えられなくなった
  • 理由②:家族のことを考える余裕が皆無だった
  • 理由③:同じ時間と労力を消費するなら自分のやりたいことにと思った



順を追って説明していきます。

【前段】勤めていた会社と業務について

前段として、私の勤めていた会社と行っていた業務について説明しておきます。

業界世界第2位のシェアを持つ米国製造メーカー、俗に言う外資系企業に勤めていました。

とは言っても給与体系を含む会社の体質は日本の会社に近い感じ。

私は勤めていた6年間のほとんどをプロダクトデザイン部門で過ごしました。

業務内容はざっくり以下の通りです。

  • 製品設計(3Dモデル作成、解析、図面の出図、等)
  • 開発・製造予算の見積もり
  • 顧客との打ち合わせ、デザインフィックス
  • 製造部門との打ち合わせ
  • 試作品製作立ち合い、機能評価
  • 製品デバック→再試作→再評価
  • 工場での製品製造ライン立上への立ち合い
  • 製品リリース


新製品開発プロジェクトリーダーをやりながら、自ら製品リリースまでに必要なほとんどの作業をメインでこなさなければならないという、とんでもない仕事量を抱える部門でした。

いわゆる大企業なので部門(部署)がたくさんあり、各々の部門に担当する業務の範囲がありますが、そこからはみ出す面倒な仕事を全て押し付けられているかのような、なんでも屋な部門でした(苦笑)

理由①:背負わされる責任の大きさに耐えられなくなった

上司を飛び越して直接浴びせられる怒号

3年目以降プロジェクトリーダーを任されるようになってからのこと。

前段で書いた通りとにかくえげつない仕事量で、残業に休日出勤を重ねても一番大事な設計業務になかなか時間を割くことができない。

おまけに顧客からの製品要求が厳しく、自ずと無理な設計になります。

  設計ミスが判明すると、何やってるんだ、やり直せ。

  納期に間に合わないかもとなると、何が何でも間に合わせろ。

  顧客要求を満足できないと、顧客が納得するまで改善しろ。

関係部門からこのような怒号が上司を飛び越してまだまだペーペーの私へ直接浴びせられました。

プロジェクトが失敗したらおまえが全て責任を取れ、と言われてるように感じたものです。

製造部門には「こんな製品は作れない」、品証部門には「この構造では製品リリースはさせられない」と突っぱねられては、何度も頭を下げてお願いをして回る日々でした。

同じ部門の同僚が次々に鬱になって辞めていく・・・

たくさんの同僚たちは、次第に鬱になって会社を去っていきました。

私は当時、自分は鬱ではないと思っていましたが、今思い返すと確実に精神的におかしくなっていました。

この状況を数十年間続けるのは無理だと思った

残業代も休日出勤代も申請分は出ていましたが、残業規制が厳しかったため、隠れて空残業をしている人がほとんどでした。

限りなくブラック企業、そして自分はいわゆる社畜のような状態でした(笑)

辞めることになった年には昇格の話も聞かされていました。

役職につくと残業代がつかなくなる代わりに役職手当がつくようになりますが、はじめのうちの給与は役職につく前とほとんど変わらず、代わりに待っているのは無限残業地獄でした。

このような社会人生活を続けることを想像したとき、見えたのはただひたすら暗い未来でした。

理由②:家族のことを考える余裕が皆無だった

家にいる時間がほとんどない

朝一で出勤し、日付が変わるまで仕事をして、家には寝に戻るだけ。

子どもの寝顔しか見れないってやつです。

会社から支給された携帯を持たされていたので、休日もお構いなしに連絡がきて、自分の担当する仕事のトラブルや他の業務支援などでも休日会社に行っていました。

接待や出張で家に戻らないこともよくありましたね。

やはり精神的にきていたようで・・・

2012年の暮れに次男が誕生しましたが、次男の子育てを手伝った記憶がほとんどありません。

これは妻談ですが、会社が休みの日も付き合いを優先して家庭を顧みない状況だったようです。

自分自身としては忙しくて家にいなかったのはありますが、そこまでのつもりはなかったのですが、今でもあの頃はひどかったと妻によく言われます(泣)

精神的におかしかったとしか思えません。。

子どもの成長する姿が見れないのが嫌だった

子どもって本当に成長が早くて、ある日突然新しいことができるようになったり、その頃にしかない可愛さがあったり。

それを見れないというのが本当につらかったです。

家にいられる時間をより多く確保したいということが、フリーランスを志す一つの動機となりました。

理由③:同じ時間と労力を消費するなら自分のやりたいことにと思った

これが一番声に大にして言いたいこと

サラリーマン時代は自分の時間と労力のほとんどを犠牲にして、会社の為に尽くしていました。

それなりの収入はありましたが、幸福感は皆無。

そんなある時、こう思いました。

この時間と労力を掛ければ、なんでもできちゃうんじゃね?


そう思ってからは、何一つ迷いなく会社を辞めるという決断ができるようになりました

会社を辞められたのは家族の理解があってこそ

私が本当にラッキーだったのは、会社を辞め新たなことを挑戦することに対して、家族が前向きに賛成してくれたことでした。

私は仕事があまりに忙しく、会社を辞めた後の次の準備をほとんどできませんでした。

会社を辞めてからじゃないと時間が取れない状況でした。

会社を辞めてから数ヵ月はまともな収入がなく、貯金を切り崩す日々が決定していたのにも関わらず、自分の良いと思う方へ進んでと家族が後押ししてくれたのは本当に感謝しかないです。

(※余談ですが、退職日が決まった後に急な海外出張が決まり、退職日前日まで海外で顧客と会って仕事をしていたことは今となっては良い思い出です。笑)

まとめ:フリーランスこそライフワークバランスの最も良く保てる方法

当時の私のように、サラリーマンとして一生働くのはつら過ぎると思っている方はたくさんいらっしゃると思います。

サラリーマンの雇用や給与は安定しているとずっと言われてきていますが、今の時代は本当にそうかと疑問に思っています。

仮に生活が保障されているとして、それと引き換えに身体を壊してしまっては人生台無しです。

フリーランスという生き方はあらゆる可能性を秘めた、ライフワークバランスの最も良く保てる方法だと確信しています。

私の家族が私の背中を押してくれたように、今サラリーマンからフリーランスを目指して頑張っている方の背中を少しでも押せたようであれば幸いです。

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